潜在意識を応用する
以前記事にした引き寄せの結果の凄さで書いた人と、奇妙な関係が続いています。
本当に奇妙な関係ですが、もう一年になろうとしています。
今は住いも別々で正常な状態に回復しているともいえますが、その人は相当もてるんです。
相手に不自由することはないといえる人なのですが、なぜか私から離れていかないです。
微妙な距離を保ったまま、奇妙な関係が続いているんですね。自分でも不思議です。
私が離れようと思っても、それができない状況が絶妙のタイミングで現われるんです。
さらには、私が近づこうとしても、それができない状況が現われるんですね、不思議ですが・・・。
それだけ、私の心に迷いがあり、疑惑があり、安定していないといえるのですが、これからどのようになっていくのかは、私は想像できません。
以前の私であれば、ここで意識を集中して、望む結果を考えようとしていたのですが、今はその気持ちがありません。
今の私には、その人が一番幸せになる結果を望む気持ちが一番強いんです。
それこそが、私が存在している意義だとまで思えてしまうんです。
人が幸せになると、自分も幸せに思えるなんて、知識では知っていましたが、自分の内面から涌き上がってくるとは思ってもいませんでした。
そして、今日この記事を書こうと思ったときに思い出しました、約5年前のことです。
その人と出会い、そしてお互いがお互いを思っているだろうと感じたときのことです。
2人は奇妙な関係だと、その人にいわれたのです。
私はその人のことを好きだという気持ちは伝えていたのですが、その人も私のことを好きだと言っていたのです。
ですが、私はそれ以上の関係になることを避けていたのです。
そのまま、会うこともなくなり約5年・・・。
一緒に住むという奇妙な関係の始まりでした。
それが、至福から苦悩へで書いたように苦悩のどん底に突き落とされた気分でした。
そして、その都度様々な方法で自分自身を護ってきたんです。
その結果、今では「すべてを明け渡す」という心境が芽生えています。
それは、至高の存在、内なる神のような潜在意識の神聖な部分が私を支配していて、すべてを行なっているという感じです。
そのような、他力の考えが芽生え、そしてそれが大きく強くなってきたのです。
ですから、今では、願いを熱心に考えるようなことはしなくなってしまいました。
そんなことはしなくても、叶うべきことは叶い、現実化するべきことは現実化すると思え、受け入れられる覚悟のような気持ちが強くなってきたからです。
その考えに至るまでには、当然紆余曲折があり、このサイトでもはじめの頃の主張とは変わってきていると思います。
ですが、潜在意識の元の元には、私たちの命の元があり、本当の幸せを実現しようとしている神聖な存在があると考えることができるようになってきたのです。
神、真我、本当の自分、純粋意識等々、なんと呼んでも良いのですが、そのような本質的な私が内在していて、それはすでに至福に満ちている存在そのもの、意識そのものだといえるようになったのです。
このような思想が根付いてしまうと、思考で考えた幸せは、希薄で浅はかなものだと感じてしまいます。
それよりも、想像もできない、思考では考えることができない、至福や幸福感がそこにあると知ってしまったのです。
私は今、すべてに身をまかせ、すべてを受け入れ、自分の考えを捨てるような心境なのです。
「皆様が幸せでありますように」
≫ ≫ 続きを見る
≫ ≫ 続きを見る
≫ ≫ 続きを見る
≫ ≫ 続きを見る
≫ ≫ 続きを見る
≫ ≫ 続きを見る
≫ ≫ 続きを見る
≫ ≫ 続きを見る